pseudo-philosophe’s diary

他人の目があると思わないとうまく文章書けないので公開設定にはしてますが、目と頭の毒になるかもしれないのでふらっと立ち寄ってしまってもささっとお帰りになった方がよいかもしれません

安心感と後悔

今日は移転補助の現場だった。「まだ校舎としての役割が完全に機能していない建物に入るというのは、大変貴重な経験である」と言うことはできるのだろうが、僕はそのように考えることはできなかった。つまり、そんなことを言う余裕などなかった。

 

この現場での仕事は今日で終わりである。本来であれば残り四回は行くはずだったのだが、キャンセルさせてもらった。「堪忍袋の緒が切れた」というやつである。ただ、僕は怖くて厳しい人に対して反論する勇気のないビビリだったので、直接文句を言うのではなく、つまり言葉によって問題を解決するのではなく、逃げることにした。

 

曖昧な指示、足りない言葉、それに比例するように明確な敵意、激しい罵倒があった。その全てのベクトルが僕に向いていたというわけではなかったけれど、こうした現場にいて「居心地がいい」と言える人は頭がおかしいと思う。「居心地は悪いけれど、慣れてしまえばなんてことはない」と言える人には、慣れてしまえる精神的な強さに尊敬を抱くだろう。

 

しかし、と同時に、「慣れてしまえる」ということがもしも違和感を感じなくなるということであるのならば、尊敬なんて抱けるはずもなく、僕が抱くのはその人に対する警戒心だけだろう。

 

きっかけは現場リーダーの一人とのちょっとした意見というか言葉のすれ違いだった。ダンボールの置き方についてである。ある部屋にダンボールを運んで置いて行く作業に僕を含めた数人であたっていたのだが、実際にその部屋を使うことになる人がダンボールの中身を一目で分かるように、各々のダンボールにはラベルが貼ってある。そのラベルが見えるようにダンボールを並べるのが鉄則になっていた。

 

問題はここからである。その部屋はあまり広いとは言えない大きさのものだったのだが、壁に近いところに、そして壁に沿って、ダンボールが横向きに二列に置かれていた(壁に沿って一列、それに沿うようにもう一列。というように)。部屋の奥から順に、どんどん手前にダンボールを置くことになっていた。壁とダンボールの間には人が頭を突っ込んでラベルを確認するくらいの隙間しかなかった。

 

だから僕は、二列に並べられたダンボールのうち、壁側とは反対側(部屋側とでも言えばいいのだろうか)に置かれたもののラベルさえ見えればいいようにダンボールを積んでいっているのだなと思った。つまり、ラベルはどちらも壁とは反対側を向くように積んでいっているのだなと判断した。

 

壁とダンボールの隙間のあんなに狭いところを人が通ることはないだろうし、いちいちその隙間に頭を突っ込んでダンボールから荷物を出すなんてことはあまり賢いやり方ではないだろう。とにかく、そう判断した僕は二列に並ぶダンボールのうち壁側の方のもののラベルは見えなくなっても仕方ないと考えてこのように置かれているのだろうと思ったのだ。いくら不合理に見えてもリーダーの判断には従わなくてはならない。

 

そこで、僕は二つのダンボールのラベルが壁とは反対側を向くようにして積んでいった。「ラベルの向きに気をつけろよ」(言葉遣いはそのまま再現している)と命令されていたので、僕としては命令に従ったつもりである。事件はここで起きた。

 

「ラベルの向き見ろって言ってんだよ」と怒鳴られたのである。何が起きたのかよく分からなかった。僕は何度も、壁を見るようにしてラベルの向きを確認した。その度に同じ言葉で怒鳴られた。その繰り返しがたしか三度から四度繰り返された。念を押しておくが、僕はいきなり怒鳴られてパニック状態であった。

 

そして、不合理なことに、ラベルはあの狭い隙間から頭を突っ込めば見えるよう壁に向かっていた。見やすさを重視するなら他に置き方もあるだろうというものである。

 

ようは、彼は僕の視野を確認できるところに立っていたにも関わらず言葉を尽くして説明をしなかったのである。僕に彼の言いたいことを伝えるためには、「壁側のダンボールのラベルの向きを確認しろ」の一言で済んだはずである。僕は彼の言っていることを忠実にこなしているつもりだったが、聞こえてきたのは怒鳴り声だけだったのだ。ただひたすらに怖かった。一瞬で恐怖心を植え付けられた。いや、恐怖心が植え付けられただけではない。僕はその瞬間に、言うなれば彼を見限ったのだ。

 

彼は僕に言葉を尽くそうとしなかったし、派遣だからだろうが、乱暴な言葉を容赦なく用いていた。

 

僕はパニック状態だったとは言え、目の前に見えている壁とダンボールの間の狭さと、壁側とは反対側のダンボールのラベルの位置しか見えておらず、言われたことを文字通りやっていただけで、きちんと考えればもう少し早く対処できたはずであった。

 

僕にできたのは、何度も言われたことを反芻して考えてみることと、必死に謝ることだけだった。何も言い返すことはできなかった。怒られたら、怒鳴られたら、僕はごめんなさいと言ってしまう。ごめんなさいと言わなくてはならないと思ってしまう。ビビりで逃げ腰で、そのくせどこかしっかりと問題の原因と解決法を考えている。それが僕だった。

 

もうこんな職場はこりごりだと思った。五回は我慢した。五日分は我慢した。そのうちの二日分は派遣会社の手違いで僕が行かざるを得ないことになっていた。もう我慢できなかった。今日の休憩時間に、衝動に駆られるように、あるいは機械人形のように、派遣会社に電話を掛けた。電話を掛けるかどうかなんて、一切悩まなかったのである。

 

電話では、もうこんな現場は我慢できないこと、その理由(上記のようなすれ違いは一度や二度ではなかったので長く話さなければならなかった)、したがって残りの四回分をキャンセルしたいことを伝えた。

 

派遣元にも派遣先にも怒りを感じていた。だからうまく言いくるようとしていたのだが、しかし話を真剣に聞いてくれる人がいるというだけで、なぜか僕は涙が出てしまってうまく話せなかった。あの職場には人の話を聞かない人ばかりだったので、人に話をさせない人ばかりだったので、僕の言うことを親身に聞いてくれる人がいたことが、本当に救いのように思えた。

 

僕は結局うまく話せなかったけれど、電話に出た女性社員の方は、きちんと話を聞いてくれていた。

 

もう派遣元に対しては怒りなどなかった。そもそも派遣元の不手際で僕があの忌々しい現場に行かなくてはならないことになったとき、それを説明する際の電話での彼あるいは彼女(たしか後者であったと思う。若い女性社員だった気がする)は誠意ある態度だったのだ。

 

その反面で、自分の至らなさというか、頭の足りなさ、考えの浅さが悔しい。憎いとさえ思える。猛省に猛省を重ねなければならない。こんなによくしてくれた人たちに、僕は迷惑をかけてしまったのだから、誠意ある態度を今後はより意識して付き合っていかなければならない。仕事が欲しくて派遣会社に登録するのだから、キャンセルなんて派遣会社からしたら迷惑以外の何物でもないだろう。もし迷惑以外の言葉を充てるなら、「理解に苦しむ」となるだろう。

 

こちらの事情をわかってくれて、僕のわがままを聞いてくれて、本当に良かったけれど、この体験に甘えてはいけないと思った。

 

昨日はあの老婦人によくしてもらって、「ちゃんと頑張って働かないといけない。ちゃんと働いて、彼女が「人に恵まれている」と言うときの「人」の中にいられるように、不名誉を負わせてしまわないように働かないといけない」と思っていた矢先のことだったにもかかわらず、僕は残りの四回分を蹴ってしまった。放り投げてしまった。

 

だから、今の僕の心境は安心感と後悔で構成されている。どうしたら良かったのかは分からない。これがベターな選択だったと思う。でも、ベストな選択は、残りの四回をキャンセルすることではなく、どんなに辛くともあの現場に通うことだったのではないかとも思うのだ。

 

考えても答えは出ない。僕は自分かわいさを優先してしまう僕を、いつまでも遠くへ追いやることができずにいる。