pseudo-philosophe’s diary

他人の目があると思わないとうまく文章書けないので公開設定にはしてますが、目と頭の毒になるかもしれないのでふらっと立ち寄ってしまってもささっとお帰りになった方がよいかもしれません

不便な性格と不釣り合いな関係性

実に四日ぶりの穏やかな現場だった。気性や言葉遣いが荒い人はおらず、また完全にではないが、周りのことをよく見ていないにも関わらずガミガミ言ってくる輩もいなかった。

 

この現場は僕の苦手なあの現場に比べると、いわゆる「コミュ障」率が高い。関わらなければなんともないし、というか僕もどちらかと言うとそちら側に属する人間なので、さほどに気にはなることはない。最高瞬間風速的にイラっとすることはあるが。僕のこんな風に他人を苛立たせてしまっているのかと思うと、申し訳なくなるし、みっともないというか情けなくて辛くなってくる。

 

また、すでに人間関係が出来上がっている感があるので、たまに手持ち無沙汰になったときに少し寂しくなる。休憩中誰とも話さないというのは特別悲しいことではないし、大して問題ではないのだが、話せる人がいるならいた方がいいだろう。「話せる人」にも、もちろんよるけれど。それに話せる人が同じテーブルで休憩しているとは限らないのだ(この現場の休憩所にはいくつかのテーブルが置かれている)。

 

そして今日僕に話せる人がいたかというと、いたのである。作業中は何回か顔を合わせたことのあるおじさん(おじいさんと言うべきかもしれない)と世間話をしなければならないときが何度かあって辛かったが、休憩中はその話せる人とずっと話していた。その人は僕の祖母と同じくらいの年齢の女性の方なのだが、なんというか豊富な話題を持っている方だった。聞いていて楽しい話が多い(もちろん、すべてというわけではない。さすがに世代が違うと避けられない感性のズレはあるものなのだ)。

 

彼女は、僕がダウンを買おうか迷っていると話をしたらなんと買い物に着いて来てくれた。一人でももちろん行けるのだが、久しぶりに誰かと買い物に行くのも悪くはないと思い、よろしくお願いした。結果的に金銭上の都合で買えなかったのだが、その後晩ご飯をご馳走してくれた。牛タン定食を食べた。牛タンはたまに食べるとやはりおいしい。僕なんかを晩ご飯に誘ってくれるなんて、さらにご馳走してくださるなんて、本当に珍しいこともあるものだなと思った。感謝と驚きの気持ちでいっぱいだった。

 

なんというか、彼女は幅広い人脈を持っていて、僕みたいなひねくれ者であってさえ、羨ましいと思えるほどだった。そんな彼女が今日「私は人に恵まれている。あなたもその一人だ」と言ってくださった。前文についてはその通りだと思うが、次の文に関しては誤解も甚だしいと思った。彼女は僕と知り合ってどんな得をしているのだろう。どんな得をしたのだろう。どんな快を感じることができたのだろう。

 

彼女のコミュニケーション能力に比べて、僕のそれはゴミカス同然であった。面白い話の一つもできず、上手に会話を繋げることもできず、相槌を打って話を聞くばかりだった。タイミング悪く、こちらの職場ではなくあちらの職場のことを思い出してしまいイライラが蘇ってきたので愚痴を聞いてもらったりしたくらいである。

 

貴重な経験だったし、奇妙な経験だった。別れ際に彼女は「付き合わせてごめんね」と言っていたが、僕の方こそ申し訳なかった。そして、いろいろ悩んでしまったけれど、とても楽しかった。こんな日が僕にあっていいのだろうか。次に彼女に会うときに、僕はどんな風にしていたらいいのだろうか。

 

人付き合いはやはり苦手である。