pseudo-philosophe’s diary

他人の目があると思わないとうまく文章書けないので公開設定にはしてますが、目と頭の毒になるかもしれないのでふらっと立ち寄ってしまってもささっとお帰りになった方がよいかもしれません

中途半端なナルシシズム

学部時代のときも今も、僕のものの見方は基本的には比較的常識的なそれに近いものだった。何と比べて言っているのかと言えば、「哲学的なものの見方」とである。四年間大学で哲学科生として生きていても(留学を含めたら五年間)、僕のものの見方は大して変わっていないのかもしれない。

 

しかし、哲学科生でない人と知り合いになるとよく「変わってるね」と言われる。褒め言葉でも蔑みでもないのだろうけど、そう言われると僕は嬉しくなったり、悲しくなったりする。「僕は特別なのだ!」と勝手に優越感に浸るときもあれば、「僕はおかしな人間なのか」と劣等感に苛まれるときもあった。

 

元々、僕は劣等感を感じやすい人間だった。多分その反動で、多少人より優れていると言われただけで優越感を感じてしまう。大した差などなくても。

 

なぜこんな話をするのかというと、僕の居場所はどこであるべきなのか、どこであっていいのか、そして僕はどこにいたいのか、それが分からないからである。哲学を本当に必要としている人間なんて、ごく少数でしかない。哲学研究者でいたいなら、大学院で哲学を学ぶ必然性はない。そんなところに通わなくたって、独学でも知識は身につくからだ。哲学者でいたいならどうか。おそらくそれと、大学院に行かなくてはならないということにはならないだろう。

 

哲学者とは、(人が)最も根源的な問い(であると思うようなもの)に文字通り終始絡め取られ、かつそれに対して徹底的な懐疑を持って向き合う人間のことを言うのである。なぜ人は死を恐れるのか。死んだらどうなるのか。なぜ意識があるのか。なぜ人はみな違うのか。なぜ世界はこのようにあるのか。なぜものがこのように見えるのか。

 

科学的な答えを持って、それを結論としてしまうことは容易い。本能によってそれが引き起こされるからである。死んだら何も残らない。脳があるからである。生まれ育った環境が違うからである。宇宙開闢から自然科学的な因果によって導かれたからである。目(脳)がこのように見せているからである。

 

答えを導き出すことは容易い。なぜなら知識さえあればいいならである。知識を得ることより難しいことは考え方を知ることであるが、しかし、哲学史的な知識は哲学ではないし、例えばカントの考え方を知ることも哲学ではない。カントの哲学を知ったところで哲学者にはなれず、カントの考え方を真似たところで、もちろん哲学者になれるわけでもない。

 

哲学者は常に問いに全身をさらけ出さなければならない、病的なまでに心を奪われていなくてはならない。哲学とは病の一つである。それと健康的に付き合っていくか、あるいは共依存的にずぶずぶと付き合っていくかは哲学者次第であって、どちらがより哲学的であるかという問いは、それこそ哲学的ではないように思える。

 

僕は一体、どちら側の人間なのだろうか。おそらく、哲学と関わらなくてはならないような必然性は僕にはないが、常識的な人生設計を自分に設けることは難しい。僕はただのビビりで、他人が怖くて、他人が理解できなくて、そんな自分がなおのことよく分からなくて、ずっとうじうじしている。そんな人間である。僕に必要なのは哲学ではなく助言である。問いではなく答えである。しかし、その答えも簡単には見つからなかったし、見つからないし、これからも見つけられずにいることだろう。

 

僕は子供のままなのだ。あれはなんだろう?これはなんだろう?そんな問いを飽きることなく立てていき、ある程度の答えで納得してしまう。しかしその納得も長続きはせず、すぐにまた同じことを別の問いに変えて、言い換えて、悩み続ける。いっそ病気であったら、とつくづく思う。神経症的ではあっても、僕はいささかも神経症ではない。あるいは、神経症的ですらない。中途半端なのだ。何もかも。

 

これといった長所はないし、人に誇れるものもない。僕は何も学んでこなかったのだろうか。「何も」学んでこなかったというのは、明らかに嘘だろう。ここまで書いてきたようなことを書けるようになったということは、僕がなにがしかを学んできた証だからだ。そうであるはずだ。そうであって欲しい。

 

おそらく、休学を終えて復学するその直前まで、あるいは復学してからも、僕は迷い続けるのだと思う。そんな自分を、しかし僕は心の底から嫌っていると言うことができない。自己愛と自己嫌悪が入り混じり、ときには根拠のない罪悪感さえ芽生えてくるが、それさえも根拠のない信念によって中和される。うやむやになる。そして、同じように悩み続ける。答えの出ない問いの中で、答えが出ないことに満足しているのかもしれない。なんというナルシシズムだろう。こんな愛情は歪んでいるが、僕は僕をこのようにしか愛すことができないのだから仕方がない。ああ、そしてまた「仕方がない」なんて言い方で中途半端に誤魔化すのだ!