pseudo-philosophe’s diary

他人の目があると思わないとうまく文章書けないので公開設定にはしてますが、目と頭の毒になるかもしれないのでふらっと立ち寄ってしまってもささっとお帰りになった方がよいかもしれません

12月6日、夜

今日も昨日と同じ職場だった。昨日と同じ老人がいた。昨日に比べたら穏やかな時間を過ごすことができた。しかし、それでもやはり、彼は僕の神経を逆撫でることが得意な類の人間らしかった。昨日仲良くしてくれた人が今日もいてくれて、彼曰く、あの老人は僕に限らず他の誰に対しても人を不快にさせる才能があるとのことだった。また、あの老人と彼は以前も会ったことがあるらしく、そして、以前から職場を混乱させる人間だったとのことである。そんな人間は放っておくに限る。触らぬ神になんとやらである(あんな人間を神と呼びたくはないが)。だが、それでも老人の戯言が本当にただの戯言なのかを考え込んでしまうのが、僕という人間なのだった。

 

今日も昨日と同じで、眠れそうにない。昨夜は結局2時頃まで眠れずに、そして何もできずにただ布団の中でじっとしていた。久しぶりにブログを書いて、そのまま2時間くらいじっとしていたことになる。無為な時間だった。

 

今日の僕は何を悩んでいるのだろう。今の悩みは「さっきまでの自分が何を悩んでいたか分からない」になりそうだが、Amazonでポリエステル製のロープを買ったことは覚えている。おそらく、2chの哲学系のまとめサイトでも見ていたのだと思う。死後の世界がどうたらこうたら、クオリアがうんぬんかんぬん、うつ病になる人はIQが高い高くない、そんな感じのまとめをいくつか読んだのだった。とりあえずロープ買っておくと心が落ち着く、なんて書き込みを読んであれを購入したのだった。本来の使い方で使う機会はないけれど、多分お守りみたいなものになってくれたらな、と思う。

 

死んだらどうなるのだろう。死後の世界なんてものはあるのだろうか。死んだら何もかもない、意識がないのだから自分も他人も世界も、何もかもないのだ。そう思う自分もいるし、死んだら何もかもないのであれば、「何もない」と思う自分すらないと思う自分もいる。というか、死後の世界には何もないのであればそもそも認識が一般的な形では成り立たないのだから、やはり「死んだら何もかもないのだ」と言うことには何か矛盾があるのかもしれない。そのように思えるのだが、とはいえ、直観的な僕の答えは「死後の世界などはなく、生まれ変わりなどもない」であることは変わらないのではないかと思う。ただ、やっぱり死後の世界はどうあっても確かめようのないことだし、いなくなりたくて首を吊ったのにまた同じようなことを同じような場所で同じように繰り返さなくてはならないなんてことになったら、馬鹿を見るのは自分自身以外の何ものでもない。だから、この世からいなくなりたいと強く思っても、その思いが強い強度を保ったまま持続したとしても、やはりロープはただのロープとして、誰に使われることもなくボロボロになっていくか、ゴミに出されることになるのかもしれない。

 

そう言えば、自宅の風景がトリガーになってうつ病の症状が出てしまう人がいるらしい。あくまで「らしい」なのだが、僕はむしろ家にいないと時折誰彼構わず怒鳴りつけたくなったり、「みんな死ね」と叫びだしたくなることがあったり、そうかと思えば他人の視線が急に恐ろしく感じたりすることがあるから、家にいた方がいい人間だと思っている。本当に、家にいた方がいい。「誰にも会わずに、誰とも関わらずに、ひっそりと忘れ去られてしまえばいいのに」と、つい願ってしまうのだから。ただ、僕はそんなことができる人間ではないのだ。僕にはそんなことはできないのだ。今度の帰省の際に、友達と会う約束だって取り付けている。思うに、そんなことができる人間ではないのに、いや、人間にはそんなことはできやしないし、しない方がいいのに、そうしてしまう人がいたとしたら、おそらく彼(女)はどんどん病んでいくだろう。

 

僕はなんというか、人生の意味みたいなものを、その答えみたいなものを探している類の人間で、社会的に見たら大した生産性もない役立たずなのだけれど、その実、「自分でそれを探しているのか」と尋ねられてしまうと、「本当は違うのかもしれない」と思ってしまう。僕はただ人に教えを乞うているだけで、自分では特に何も考えてはいないのではないかと思ってしまう。それほどまでに、僕は何も確固としたものを見つけることができていない。だから何なのだと聞かれても答えに窮してしまうが、今までの自分のやってきたことの意味が、これまでの人生の意義が、僕にはわからないのだ。眠れずにじっとしているだけのような無為な人生だったのかもしれない。「君のこれまでの人生には何の意義もなく、価値もない。無為な人生そのものだったのだ!」と言われたら、「その通りだ」と答えるだろう。まあ、だから、だから何なのだろう。僕はただ眠れないのである。僕はただ虚しいのである。何の期待もない明日が虚しく、何の期待も持てない自分が虚しい。

 

とりあえず、人生と自分自身の虚しさを確認しただけだったけれど、ちょっとした時間つぶしにはなった。