pseudo-philosophe’s diary

他人の目があると思わないとうまく文章書けないので公開設定にはしてますが、目と頭の毒になるかもしれないのでふらっと立ち寄ってしまってもささっとお帰りになった方がよいかもしれません

12/23~12/31

前回から数えておよそ一週間ぶりの更新となるが、何から書こうか迷うことはなかった。特別なことは何もなかったし、目新しいことも何もなかったからだ。とはいえ、おさらい程度には振り返ることもいいだろう。

 

前回の更新の次の日である12月23日は、必要最低限な買い物に行く以外には家に籠りがちで外出をしない僕にとって、なんというか気分の浮き沈みの激しい日だったような気がする。その日は日雇いの仕事がある日だった。仕事に関しては普段通りであり、何度かやったことのある仕事だったので気楽にやり過ごすことができたので、その点についてはほとんど僕は一定の精神状態を保っていられたと思う。早く帰りたいとか何で働かなくてはいけないのだろうとか、こんなやり方は効率が悪いとかこの人手際悪いなとか、そんなニート臭いことは考えてはいたけれど。

 

では、そんな普段通りの日であるにもかかわらず、なぜ、そして何に僕が一喜一憂していたかと言うと、その職場で以前一緒になった女子大生(女子大生と言うといかがわしい雰囲気を感じ取ってしまうのは僕が汚れているからだろうか…)と再会したからである。単刀直入に言うと、そもそも人とあまり話さない生活をしている僕には、年の近い異性、しかも控えめに言ってもかわいい異性と話すのは大変なことだったのだ。抵抗というか抗体がないのだ。以前の僕なら会ったかもしれないそれが、今の僕には皆無だった。平静を装って話していたけれど、かなり挙動不審だったかもしれない。何故か暗い話で意気投合してしまって話が絶えなかったけれど(そう言えば以前会ったときもそうだった、休憩中ずっと暗い話をしていた)、それでも一度や二度しか会ったことのない人間と話すというのは神経を使うものである。手探りもいいところだった。

 

帰り道も一緒に帰ってくれた。優しい人もいたものである。一緒に帰ろうなんて誰かに言うのは久しぶりだった。まだよく知らない人間と話すのは神経を使うとか言っておいて、僕はやはり人恋しさには勝てなかったのだ(余談だが、この間宗教の勧誘に来た人と15分くらい立ち話をしたときには自分で自分に引いてしまった)。もちろん、彼女としては社交辞令と言うか、一種の外交のようなものの延長線上のことだったのかもしれないけれど。駅まで話しながら帰っていたとき、どんな話の流れで知ったのかは思い出せないが、彼女も喫煙者であることを知った。誰かと一緒にたばこを吸うなんて最低でも半年はしていなかったので、途中仙台駅で喫煙席のある喫茶店に入った。もちろん彼女が誘ってくれたわけではなかった(どれだけ人恋しかったのだ、僕は)。しかし、一緒に喫煙席に座ったまでは良かったものの、彼女はたばこを家に忘れたと言う。気を使わせてしまったと思った。そんな素振りを僕はは見せることができなかったけれど。どうして僕はうまく他人に気を使うことができないのだろうか。気の利いたことも言えず、彼女は軽食を取り、僕はたばこを吸っていた。

 

多分1時間も話してはいなかったけれど、そろそろ帰ろうかという頃合いに、「帰省したら友達とダーツに行く約束をしているから練習がてら今から行かないか」と言ってみた。意外にも快諾してくれた(ように見えた)ので、久しぶりに投げに行った。最後に行ったのは大学時代の友人が訪ねてきてくれた10月だったと思うので、二か月ぶりのことだったと思う。

 

ダーツが上手だったらよかったのだが、僕はまだ初心者の域を出ていなかった。彼女も彼女で三年ぶりのダーツだったそうだ。お互いまだ探り探りの関係だったにもかかわらず、気まずい空気にはならなかったと思う。途中僕のたばこを一本譲って、休憩がテラ一緒にたばこを吸うことができた。無理矢理彼女によこしたわけではないということは断っておく。僕に気を使って付いて来てくれたであろう相手に、何であれこれ以上の無理強いは人としてやってはいけないことだろう。2時間ほど投げて、その後は何もなく帰った。連絡先を聞くのは憚られたので、本当に何もなく帰った。勝ちの数は僕のが多かったけれど、最後のゲームは僕の負けで終わった。バイト終わりで体力がなかったなんて言い訳は見苦しいけれど、しかしながらそれは事実だった。いやでも、そうでなくとも実力的には大差なかった気もする。なんというか、その日の僕は、彼女と話していてとても楽しかった分、気を使わせてしまっていないかと思うと彼女の言動の一つ一つに喜んだり申し訳なくなったりと情けない僕だった。まあ、情けないのはいつものことだけれど。

 

24日と25日、世間ではクリスマスムードで盛り上がっていたのだと思う。僕は普段通り家でアニメを見てiPhoneでゲームをして過ごしていたけれど。ちなみに、彼女にこの両日の予定を聞くのは何だかプライベートを探るようで申し訳なかったのでしなかった。後になって彼女が言っていたのだが、普通に勉学に勤しんでいたということだった。なんだかほっとしていた自分に嫌気がさした。煩悩を捨てたいと心から思った。

 

にぎやかな土日が明けて26日の月曜日は、23日と同じ職場でのバイトだった。彼女も26日は出勤するとのことだったので、朝家を出るのが幾分辛くなかった。なるべく人と関わらないように生きようと決めていたのに、都合の良い頭の僕だった。彼女と会ってから、このような罪悪感と嫌悪感が肌にまとわりついていた。その日は何をしていても彼女のことが頭から離れなかった。情けない男とはこのような男のことを言うのだなと思った。年下の異性に(良い言い方ではないのはわかっているが)ほだされて、世捨て人を気取っていたくせにその人のことしか考えられなくなっているなんて、情けないというか生き汚いと言わざるをえない。あるいは、素直にみっともないと言うべきかもしれない。

 

その日の仕事が終わり(厳密には4時間ほどの残業があったのだが1時間ほど働いてからで二人で一緒に抜けた)、前回と同じく一緒に帰った。もう会えないのかと思うとうまく言葉が出てこなかったので、会話も弾まず、おそらく今までで一番気を使わせてしまっていたと思う。二人で電車に乗ってこの間のようにダーツにでも誘おうかと思っていたけれど、この間のような勢いが僕にはなかった。せめて夕ご飯をどこかで一緒に食べればよかったのだが、どこにもよらずに帰った。正確には、僕の家からの最寄り駅で一緒に降りて夕ご飯を食べる店を探すことになったのだが、その駅の周辺には何もなかったので駅に戻ったのだが。情けないの度を越していた。振り返って見るとあまりの不甲斐なさに言葉を失うくらいだ。結局、僕はもうヒトカラにでも行って自分を慰めようと思い、彼女にその旨を伝え一緒に改札をくぐることになった。別々の電車を待っていたときに、彼女が連絡先を交換しようと言ってくれたのがせめてもの救いだった。天使のような人だった。

 

翌日の27日と28日も同じ職場で仕事をした。29日も行く予定だったのだがキャンセルさせてもらった。その職場は商品の状態保持のためにおそらく10度以下に温度が設定されていたのだが、ここ数日の気温の低下も相まって、肩甲骨付近の筋肉の痺れがひどかったからだ。いや、正直に言えば、もはや彼女のいないこの職場に行くことには何の価値もないと悲嘆していたという身勝手な理由もないことはなかったが、それは抜きにしても腕が上がらなくなるほどには痺れるので休まざるを得なかったのだ。今後は気温などにも注意して仕事を選ばなければならないと反省している(こんなところで反省の意を見せたところで何の意味もないのだが)。

 

そんなことがあったが、29日は普段通りの生活を送った。つまり、特に書くことはない日々だったということだ。厳密には、やはり布団に入っていざ眠ろうとすると異種混交の、複雑怪奇な、ありていに言えば様々な観念が頭の中に居座っては去っていく日々であった。いつものように深夜の無駄遣いな日々であることには変わりなかったが、しかしそれを言葉にする気力もなく、ただ疲弊し、明け方にようやく眠りにつくことができた。

 

そして本日30日(時計の針はすでに0時を回っているので31日が始まっているのだが)は、家にいてはまずいという思いにふと囚われ、読みかけのエンターテイメント小説を持って外食に出かけた。そんな贅沢をしていいのかと思わない僕ではなかったが、そんなことを気にしている場合ではないと、動物としての本能のような何かが告げていた。何かが溜まっていたのだろう。焦りと言うべきか不安と言うべきか、あるいはその両方か。はたまたそのどちらでもない何かが溜まっていたのかもしれない。初めてのことではなかったし、そういうときは家を出れば息苦しさも和らぐので外食に出て正解だった。ただ、今回は一癖あったというか、すんなりと気持ちが落ち着くという運びにはならなかった。

 

料理を注文し待っている間、突然「ニートって何の略だっけ」なんて危険なことを考えてしまったのである。調べてもろくなことにはならないというのに。自分のだめさと、自分の狡さと、何より自分の身勝手さを改めて知ることになるのだから。結局、NEETの二つ目のEがEmploymentの略であることを確認した後、案の定「ニートの末路」みたいなまとめサイトに目を通してしまった。精神的な自傷癖でもあるのかと自分に言いたくなった。いや、そうではないと言えないことは明らかなのだが。だから料理が来ても全く食欲が湧かなかった。折角お金払うのに。料理冷めちゃうじゃん。そんなことを思っても手も胃も運ばれてきた食事に反応できなかった。

 

結論から言えば、たばこを何本か吸って幾分落ち着いたので、何とか食事を済ませることができた。食後にコーヒーを飲みながら読みかけの小説を消化して帰宅した。なんだか生きててもろくなことがないなと思った。自分にとっても他人にとっても。

 

この感覚がより具体的になってきたらいよいよかなと思いつつ、来年の10月に復学し今の半ニート状態から一時脱却できるので、不安九割期待一割を胸に抱いてキーボードを叩いていた次第である。長い振り返りになった。そしてやっぱり特別なことも目新しいこともなかった。免疫のなくなった僕がかわいい女の子に一喜一憂したことなんて、なんというかありがちな話ではないか。想定はしていなかったが、考えてみれば想定の範囲内という結果に落ち着いてしまう。情緒不安定なのもいつも通りだ。

 

年末だろうとなんだろうと僕はローテンションというか低空飛行なのである。年末特有の侘しさみたいなものを感じないだけましと言えよう。より一層低空飛行なんてことになったら墜落してしまうだろうが、多分そうならないのは帰省の際に会ってくれる人が僕にはまだいるからだろう。いつまでそんな状態を、こんな幸運を受け入れていられることができるのか僕にはわからないけれど。人間関係まで大掃除してしまいかねない僕には、現状維持すら難しく感じる。

 

無為な一年だったなんて思い始めてしまったうえに、気付けばもう5000文字近く駄文を弄んでしまった。明日からも僕はこんな人生を重ねていくのだろうか。

凡人の散文

明日は派遣のお仕事である。派遣と言っても日雇いである。およそ一週間ぶりだ。明日の職場とは別の何度か行った職場は、結局仕事(主に人間関係)に馴染めず、可愛らしく言えば「気苦労が絶えなくなってしまって」、あるいはそのときの精神的な状況を忠実に表現しようとすれば「その場にいるだけで絶望感を感じ、人と話すことにすら嫌悪感を抱き、消えて無くなりたくなってしまったため」、何回かまた行く予定だったのだがキャンセルさせてもらった。そんなことがあって、一週間家にいることができた次第である。

 

言葉は難しい。厳密に言うなら、言葉を発する側の人間の意図を、受け取る側の人間に伝えやすくするための言葉選びが難しいのだ。いろいろ言い方を考えるが、僕自身僕の気持ちをうまく理解できず、したがってうまく表現できずにいることが多い。これについて考えれば考えるほど抜け出せなくなる。言葉というものは多分、普段人が思っているほど頼りにならず、思っているよりも薄っぺらい。こうして、僕は言葉の問題、表現の問題に絡め取られてしまう。言葉が単なる記号であったとしても、僕はその使用上の規則すらうまく理解できないだろう。

 

ともあれ、明日はバイトなのだ。布団にくるまってこの記事を書いている。早く寝なければならないと思って布団に入ったのは多分1時間ほど前のことになる。家にこもっていた一週間の間で、平日は毎日働いていたときの生活習慣とズレが生じてしまったから、まあいきなり早く寝るというのも無理な話である。

 

そう思っていたから、ある程度寝付きが悪いのは仕方ないと思っていたのだが、布団に入って何もせずにいると、いつものようにさまざまなことを考えてしまう。一つ一つのことが何であったかすらわからなくなってしまうほどに、それらは僕の頭の中に入ってはすぐに出て行く。入眠前ほどものを考えるのに適していないときはないのかもしれないとさえ思えてくる。

 

種々雑多な観念が頭の中を行き交い、混じり合い、離散し、通り過ぎて行く。残るのは冷たく重い感情だけである。「生きていても仕方がない」という言葉は、僕にとってもう使い古された言葉になってしまった。

 

「早く終わって欲しい。まだ頑張らなきゃいけないのか。いつまで頑張ればいいのだろう。」

 

そんな風に思ってしまって、悲しくなってしまう。終わったことで憤慨し、終わったことで悲嘆に暮れる。言い返す相手はもういないから、一人語りが続いて行く。そのうち虚しさが押し寄せてきて、僕は眠れなくなる。

 

明日のバイトが終わったら土日がやってくる。それが終わったら明日と同じ職場で四日間働く。一年の終わりと次の一年の始まりを迎え、1月の3日から5日の間に帰省する。そう書いていて、また情緒不安定になりそうだと思った。

 

仙台に戻った後のことは考えていない。もう何もしたくない。何も考えずに眠っていたい。何も知らずにいたい。そんなことが許されていないことは、分かりすぎるほどに分かっているのだが。募るばかりのこうした思いに埋め尽くされ、段々思考が鈍くなる。身動きが取れなくなっていくにつれて、考えうることが少なくなっていく。考えうることが偏っていく。考えうることが沈んでいく。

 

昨日の僕も僕だったが、今日の僕も僕である。自己の連続性についての問いに悩まされるほど僕は賢くはないから、多分自分というものがぐちゃぐちゃに詰め合わされて、雑多にまとめあげられて、余計に自分が分からなくなるのだろう。「気分」とか「機嫌」とか、そんな言葉で片付けられるなら、さっさと片付けてしまいたかった。

 

僕の言葉は抽象的で、間接的で、婉曲的だと思った。それはやはり、僕が表現したいことを僕が理解していないからだろうか。あるいは、それは言葉にしたところで表現しきれないものだからだろうか。散文の領域は別として、韻文の領域すら、表現するものが表現したいものを十分に表現することはかなわないのではないか。記号は生の感情を表現できないのではないか。

 

考えてもきりがないけれど、考えることを放棄することは、僕にはできそうにない(しかし本当は考えることを放棄しているのではないだろうか)。

コーヒーとカレーと僕の胃の話

ここのところ、暖かい日が続いている。パジャマの上にフリースを着たりルームソックスを履いたりするだけで十分暖かい。暖房に頼るのない日々だった。明日からまた天気が崩れるそうで、天気予報では金曜日に雨マークがついている。バイトのない日は基本外に出ないから雨が降っていようが雪が降っていようが構わないのだが、なんというか間の悪い天気だ。いや、間が悪いのは僕か。

 

そんなことより、どうも胃の調子が悪い。明らかに弱っている。胃もたれや胸やけが何日か続いていたので、数日前に「ああ、食生活見直さないとなあ」と思っていたばかりなので、驚いたとかじゃあないのだけれど。コーヒー飲んで気分悪くなるとか、コーヒー好きと名乗れないではないか。せっかく自家挽きできるように一式揃えたのに。ちなみに以下がその内容である。

 

カリタ 手挽きコーヒーミル クラシックミル #42003

カリタ 手挽きコーヒーミル クラシックミル #42003

 

  

キントー コーヒーカラフェセット SCS-04-CC 600ml 27621

キントー コーヒーカラフェセット SCS-04-CC 600ml 27621

 

 

ミルに関しては、刃の劣化を避け均等な挽き具合のためにセラミック刃のものを買う予定だったのだが、カリタのデザインに後ろ髪を引かれこちらを買ってしまった。性能よりデザインを取ったわけである。ただ、今のところ懸念していた問題が起きているわけではないので満足している。キントーのカラフェセットもデザインで選んだ。金属製のドリッパーは高いというのが常識のようなものらしいのだが、カラフェとセットでたしか4000円ほどだったので、ネルドリッパーは保管が面倒だしペーパーはなくなったら階に行かなくてはならないのが嫌だったし、こちらも満足している。

 

また、僕はコーヒーに酸味は求めない性質だから、金属製ドリッパーがマンデリンのコクのある苦みを存分に引き出してくれている気がしている。結果オーライというやつである。たた、本当のことを言うと、もともとマンデリンは酸味のほとんどない豆なので多分ドリッパーの種類は関係ないと思う。豆とミル、そしてドリッパーの完璧な組み合わせを目指したかったが、デザイン重視で一式揃えてしまった愚かな僕の自己救済措置としての思い込みである。

 

ちなみに、自家挽きセットを買うときにティーポットも買った。それがこちら。

 

キントー ワンタッチ ティーポット 450ml ブラウン 8389

キントー ワンタッチ ティーポット 450ml ブラウン 8389

 

 

これまたキントーである。そしてこれまた見た目が決め手だった。ティーポットを買ったきっかけは、伊藤園かどこかから出ていたほうじ茶ラテをコンビニで買って飲んだ時の衝撃が忘れられなかったことだったと思う。今のところ「ラテにせずともほうじ茶はうまい!」というポッと出た信念によって、僕の家の冷蔵庫に牛乳は常備されずにいる。

 

それにしても胃が弱っている。決定打となったのは今日の夕飯として食べたカレーである。親がコストコに行ったらしく、そこで買ったものを送ってきてくれたのだった。米を買うのは面倒だったので、サトウのご飯のSEIYU版みたいなやつを買ってきた。僕はカレーの味にそこまで頓着する人間ではないのでおいしくカレーを食べたのだが、食後一時間半経っても胃が重たい。消化する時間かかりすぎじゃないかと思えてくる。外食してお腹いっぱいになっても帰りがけにおいしそうなお店を見つけたら「腹減った...」とつぶやいていたのが今までの僕だったのだが、何なのだこの変わりようは。やはり野菜か。野菜なのか。

野菜と自信が足りない

昨日に引き続き、就寝できたのは深夜3時だったのだが、今日は比較的落ち着いているような気がする。洗濯もできたし、買い出しにも行けた。珍しくファッション誌を買ったりもした。絶好調ではもちろんないが、絶不調というほどでもない。

 

多分、この前は不安や憂鬱感によって寝付きが悪かったが、昨日は単に胸やけがひどくて寝付けなかったからだと思う。「何食べたんだよ…」って感じだが、別に変なものは食べていない。20時ごろに普通のインスタントラーメンを食べただけである。それだけで3時まで眠れないほどに胸やけする自分に自分でも驚きだし情けないなと思うが、まあ前回に比べれば健康的な気もする。

 

目が覚めたのは7時くらいだったと思う。ここのところちゃんとバイトに行けていたので、早くて6時、遅くて8時の間には起きれている。起床後、昨日の続きでさよなら絶望先生を見始め、お昼にさば味噌(コンビニで売っているやつ)を食べた。なんだか外が快晴だったので急いで洗濯機を回し、買い出しに行った次第である。

 

食生活の偏りを直そうと思うのはよくあることである。つまり、そう思っていながら依然として僕はインスタントラーメンとうどんばかり食べている。あと冷凍チャーハンと冷凍ピラフ。とにかく野菜が足りない。圧倒的に栄養が偏っている。今のところ「生え際が後退してきた」とかそういう実害は出ていないので、あまり本腰入れてなんとか改善しようという気にはなっていないのだけど、買い出しに行くごとに野菜コーナーに目を向けたくなくなる自分がいる。まあ、単に考えるのがめんどくさいのだ。今の食習慣をはじめ、どの食材をどこにしまっておくかとか、そういうのを変えるのが嫌なのである。とはいえ、たまにガストでご飯を食べたりすると「野菜うめえ!」と思う自分がいるので、早いうちに改善できたらいいなと思う(でも多分当分の間はしない)。

 

ファッション誌を買った。嵐の櫻井翔君が表紙のメンズノンノである。CDなどを買いに行ったときに「これ買う予定じゃなかったんだけど、つい買っちゃって…」なんてことがたまにあるが、それと同じである。いわゆる「ジャケ買い」だ。イケメンを見ると癒される。とはいえ、実際に話さなくてはいけなくなったりするとおどおどしてしまうので、見るだけでよい。それにしても、メンズノンノモデルの柳俊太郎さんは買うたびなんか僕の目に留まる佇まいをしている。調べてみたら一個上の1991年生まれで仙台市出身らしい。長所が「あんまり怒らないこと」となっていた。うらやましい限りである。イケメンは見ている分には癒しだが、少しでもその人についての情報を知ってしまったり実際に関わったりすると劣等感に苛まれてしまうので、なんというか鬼門である。

 

この手の雑誌を買ってしまうと、急に自分の髪型が気になりだす。この前買ったときは耳が隠れるくらいの長さまで伸びていた髪を切ってしまった。自分で(いつも髪は自分で切ったり刈ったりしているからそれは別にどうでもいいのだが)。イメージとしてはサカナクションの山口一郎と高良健吾を足して二で割った感じを目指していたのだが、目標とする人がイケメン過ぎて結局目指した通りに仕上がったのかどうかはあまり覚えていない。今は少し伸びてきたので、確か一週間前くらいに襟足の部分とサイドを調整しなおした。もう当分切らない。

 

また、購買意欲が急に高まるのも困りものだ。古着屋に行きたい。トラックジャケットが欲しい。チェスターコートを気崩したい。カジュアルな革靴が欲しい。ニットがもう一着欲しい。基本的に服は最低限しか持たないので、あまり流行には流されないというかユニクロっぽいというか無印っぽいスタンダードな服装しかしない。新しい服を買うときも今持ってる服にのみ合いそうだと思うものしか買わない。また別の種類の服が欲しくなるからだ。欲望は尽きない。

 

とまあ、今日はこんな感じに、絶好調でも絶不調でもない日である。普通の日と言ってもいいかもしれない。上記減と不機嫌のちょうど中間よりやや不機嫌より、ハイテンションとローテンションのちょうど中間よりややローテンションよりの方が僕にはちょうどいいというか、僕らしいのだが、今日はそんな日である。

 

これから冷凍チャーハンと白身フライを食べる。胸やけの原因は多分、こんな食生活を続けているからだろう。

どっちつかずな日曜日

昨日はなかなか寝付けなかった。0時前には眠ろうと思っていたのだが、例のゲームアプリに熱中してしまっていて、気付いたら日付が変わっていた。最終的に3時過ぎに寝たと思う。

 

もちろん、ゲームをしていてその時間になったわけではない。スマートフォンのゲームアプリは、やはりどこまでいっても暇つぶしにしかならない片手間にやるものなのである。では何をしていたのかと言うと、急な不安に襲われていたと言うのが最も正確な表現になると思う。急に不安がやってきて、急に頭が何やら考え始めていた。

 

不安はどのようにやってきたか。最近はあまりなかったのだが、寝付けない日々が続いていたころは、息がしずらく胸部が圧迫されているような感覚になったり、横になっているにも関わらず周囲がぐるぐる回っているように感じたり、物音に敏感になったりしていた。ようするに、昨晩久しぶりにそれがやって来たのである。

 

パニック障害という言葉が頭をよぎった。気付いた頃にはiPhoneで検索し、簡単な自己診断をしていた。結果はサイトによってまちまちであった。自分は病気ではないとホッとすると感じる人が大多数なのがこの世の中だと思うが、僕はそうではなかった。病気であったらどれほど楽か。

 

「病気ではないがときに病的である」

 

「病的と言うほどでもないがあまり普通ではない」

 

そんなラベリングに飽き飽きしているのだ、僕は。もういっそのこと病の身として自分を受け入れたい。あるいは、そういったものとは全く無関係になりたい。どっちつかずの僕にとっては、どっちつかずが一番のストレスなのである。僕はパニック障害ではない。広場恐怖症ではない。強迫神経症ではない。では一体僕は何なのだろう。「みんなと同じ」なのだろうか。特別でいたいとはあまり思わないけど、そして自分のことを特別だと思いたいわけでもないけど、事実として、「自分」という存在が自分にとって特別でない人間などいるはずもないだろう。僕はただ悩んでばかりの人間なのだろうか。

 

昨晩僕は悩んでいた。息苦しさとか、かすかな物音に対する恐怖心とか、そういったものに20分から30分くらい捉えられたあとの自己診断のちに、どっちつかずの自分がどこか情けなく感じだしたころのことだろうが、僕は復学について考えていた。

 

哲学とは、すべての人間にすべからく必要なものではない。何かの機会に哲学もどきに触れることはあっても、哲学なしで生きていくことは、事実上当たり前のことと言っても過言ではないだろう。僕には哲学は必要なのか。必要だとしたらどのようなものが必要なのか。主題は何なのか。意識か、自己か、他者か、時間か、自由意志か。一言で簡単にまとめることは難しい。意識を語る上で自己を語ることは避けて通ることはできないだろう。いや、こんなことはどうでもいい。

 

哲学的な問いとは何か。それが今の僕にとって、復学という語が頭の中から離れない僕にとって最も重要な問いである。僕は哲学的な問いを持っているのか。僕が抱いている問題意識は、単なる科学的な問いの一形態でしかないのではないか。つまり哲学専攻という立場から着手するにふさわしい問いではないのではないか。あるいは、現実に対する不満でしかないのではないか。自分の欠点を他人や社会のせいにしているだけではないのか。僕には哲学を必要とする資格すらないのではないか。上っ面を眺めて満足しているだけではないのか。僕はやはり、哲学もどきに気を取られているだけではないのか。そんなことばかり考えていた。

 

目が覚めても気分は晴れなかった。最近見返していたゆるゆりは、土日に入る前には一通り見終えていたので、昨日はギャラクシーエンジェルを見返していた。今日の午後にはそれも見終えた。今は久しぶりにさよなら絶望先生を見返している。薄っぺらいギャグアニメ(漫画)とは言え、中には真に迫るというか、確信を突いているなあと思える要素もあったりする。世の不条理についてだったり、死のうとすることの滑稽さ(あるいはこの場合「稚拙さ」と言い変えることができるかもしれない)だったり。もちろん、あくまでさよなら絶望先生はブラックユーモア作品でしかなく、主人公である糸色望も世の不条理に戸惑い翻弄され続けるほんの一例でしかないのだが。ああいう作品に感化されて死にたがっていると思われることだけは勘弁して欲しいが、まあ、周りから見たら、結局僕はそのような人間なのかもしれない。

 

明日は買い出しに行く。そのつもりである。外に出るのは億劫なのだ。億劫を通り越して言葉にできない、言葉にしがたい気持ちになることさえある。だから明日の予定はまだ未定と言った方がいいかもしれない。とりあえず、親がレトルトカレーを送ってきてくれたので白米は買わなくてはならない。親には頭が上がらない。僕は「親」にはなれないし、なろうとして失敗しても責任取れないと思う。これも甘えなのだろうか。断食でもしてみようか。ほうじ茶飲んでれば落ち着くし、たばこもあるし。

 

こんな頭で考えごとをしてみても、考えごとをさせられていても(自分の意志とは無関係に、言うなれば消極的あるいは非-積極的に考えごとをしてしまうのだからこのような表現にもなってしまう)すぐにあちこちにふらついてしまうので、何も考えずに(何も考えないでいられそうなのであれば)今日はもう布団に入った方がいいのかもしれない。お風呂に入って、歯を磨いて、明日に備えよう。

心機一転、ゲームの話

昨日は23時過ぎには布団に入ったと思う。当面はバイトに行かなくていいし、将来の不安はいつも通りあったけれど、布団のぬくもりに包まれていれば何とか現実逃避可能なレベルのものだった。あと、非常用に買っておいたロープが意外と心の支えになっている気がする。

 

目が覚めたのは7時前だったと思う。睡眠時間は充分だった。しかし、朝方の冷え込みは暖房なしには凌げない。毛布にくるまってiPhoneでゲームをして暖房が効き始めるのを待った。それから今まで、途中お昼寝を挟みつつ、ご飯を作るのも面倒なので食事はお菓子で済ませ、ゲームしながらアニメを見続けるという、最近の気の落ち込みを取り戻す勢いで落ち着いた時間を過ごしていた。

 

現在僕がやっているのはFinal Fantasy Brave Exvius(通称FFBE)とMobius Final Fantasyの二つである。どちらも始めてから半年くらい経つと思う。おかげで無課金でも満足できるレベルで楽しめている。

 

前者に関しては召喚(いわゆるガチャである)の際に運が悪いと似たようなタイプのユニットばかり集まってしまって、ボスによっては全く太刀打ちできないなんてこともありうる。実際、僕の場合は魔法アタッカーユニットが全然足りない。反対に、物理アタッカーユニット、回復ユニット、壁役ユニットにはあまり困っていない。以下の攻略サイトによる最強ユニットランキングにおける物理アタッカーの一位と二位、回復ユニットの三位、四位および五位、壁役ユニットの一位から五位は確保できているのだ(少しうれしい)。補助ユニットに関してもランキング一位のユニットを所持できている!ただ、ユニットが揃っていても優秀な武器や防具を持っていなければ宝の持ち腐れである。

altema.jp

 

強力な物理アタッカーが続々と参戦していることで同ランキング上位から姿を消してしまった、そして僕にとってとても愛着のある、FF Xから参戦のティーダのために、現在必死に武器やアビリティ集めをしているところだ。この先ほども優秀な武器や防具がなければ強いユニットを持っていても宝の持ち腐れになってしまうと書いたが、このゲームのやりこみ要素というか、ゆっくりまったり楽しみたい人にはあまりうれしくないシステムがその原因だろうと思う。

 

各ユニットごとにトラストマスターと呼ばれる報酬が設定されていて、ユニットを使いこんでいくほどにパーセンテージがたまる仕様になっている。これが100%たまると、高火力の武器やユニットの能力を飛躍的に高めてくれるアビリティ、ガチガチの防御性能を与えてくれる防具などがもらえる。このトラストマスターを得たいがために、多くのプレイヤーは土の神殿という最もスタミナ消費が少なく手っ取り早くバトルが終わる、つまり高速で周回可能な、クエストに挑み続けるのである。これはトラマラ(トラストマスター獲得のためのクエスト周回をマラソンになぞらえ、さらにそれを略した言葉だと思う)と呼ばれている。ただ、そのパーセンテージ上昇率が非常に低いのだ。

 

まあ、細かい話は僕がここで書きたい話ではないから割愛しよう。とにかく、比較的精神的に安定している今日の僕だからこそ書けるくだらない話を、僕は書きたいのだ。

 

先ほど僕の愛着のあるユニットとしてティーダを挙げたが、彼の長所は多段高倍率アビリティ持ちという点と水属性の敵と水属性が弱点の敵に滅法強いという点だ。彼がいたおかげで攻略できた強力なボスが何体いたことか!そんな彼が、昨今の凶悪なまでの高火力アビリティ持ちの物理アタッカーたちの襲来の波に飲まれ、ランキング上位から姿を消してしまったことが悲しくて仕方ないのだ。そういうわけで、至極面倒なトラマラに少しずつ着手しているわけなのだが、いきなり土の神殿を周回するには僕には根気が足りなかった。多分10周もせずに飽きてしまった。

 

ので、土日限定で開催されているギル集めにうってつけなクエストと経験値集めにうってつけなクエストを、この土日でそれぞれ周回することにした。今日はギル集め、明日は経験値集めである。トラスト値の上昇はあまりというかほとんど見込めないが、まあ気の持ちようだ。じっくりと行こう。

 

そんなわけで、5分ごとに回復するスタミナを体力回復薬というアイテムを使って無理矢理回復させて500万ギルほどためた。睡魔に襲われると我慢のできない僕なので、7時前に起床したにも関わらずあまり稼げなかったが、まあ体力回復薬も数に限りがあるので仕方ないとする。それにこれ以上勢いを上げてしまうと、ほぼニートのくせに課金ユーザー化してしまう恐れがあるのだ。それは絶対に避けたい。人生なんて死ぬまでの暇つぶしみたいなものだというのが僕の信念なので、暇つぶし程度に遊べればいいのだ。

 

とまあ、話は多少逸れたが、今のがこの土日のメインプランである。サブプランとして、以下の三つのトラスト値を上げていこうと思っている。一つは、FF IIから参戦のレオンハルトのトラストマスター「ダークナイトソウル」。剣と重鎧装備時に攻撃が50%上がるパッシブアビリティである。僕のお気に入りのティーダのトラストマスター報酬「フラタニティ」は攻撃が135上がり攻撃に水属性を付与する剣なので、ぜひとも欲しい。二つ目は、FFBEオリジナルユニットであるカーミルの「水霊の剣」。攻撃が90上がり、フラタニティと同じく攻撃に水属性を付与する。しかも、剣に限り「にとうりゅう」(簡単に言えば一部の種類の武器を除いて、武器を二つ持てるアビリティ)可能なので、これまたフラタニティと相性抜群なのだ。最後の三つ目は、FF XIから参戦しているシャントットのトラストマスター報酬「魔力+30%」である。これはティーダ用ではないのだが、僕の所持している数少ない魔法アタッカーであるFF Vから参戦のエクスデスのためにあと11.7%を頑張ってためている。ちなみに一つ目のダークナイトソウルは昨日から始めたばかりなので5%にも満たない。水霊の剣はあと20%ほどである。

 

書いていて楽しい(そしてFFBEをプレイしていない人にとってはなんのこっちゃな)話だった。続いてMobius Final Fantasyの話をしよう。

 

こちらに関して言えばもうグラフィックが綺麗過ぎて大抵のアホ仕様や渋い召喚率があっても全然許せてしまうクオリティである。というか特にそういったマイナス点は今まで感じていないので、文句なしで人に勧められるゲームアプリだ。強いて言うなら、端末の容量をかなり取ってしまうことだろうか。僕はサウンドデータを犠牲にしてなんとかプレイしている。

 

それに、最近のアップデートのおかげで、通信エラーが多発していたマルチプレイも多少はプレイしやすくなった(気がする)。こちらも無課金で遊んでいるので文句の言いようがない。もし課金していたとしていても、高レアリティカードの召喚率を上げてくれというソシャゲ界においてはテンプレの要望くらいしかない。

 

そんなMobius FFだが、ただいまクリスマスキャンペーンなるものが行われていて、アイテム使用時の体力回復量二倍というニートにはうれしい仕様になっている。さらに条件次第ではエキスパンドスキル(カードを使い続けると獲得できるスキル)の覚醒率もアップするので、時間を持て余している引きニートは感無量ではないだろうか。マルチでもソロでも重宝する「ジョブチェンジリキャスト」などをはじめとした目的のオートアビリティのために必要になる各属性フラクタルと、ジョブパネル完成のために必要なクリスタルを撃破後に落としていってくれるクリスタルジャボテンダーが稀に出現し、しかも少スタミナ多バトルの「妖魔の森」に、僕のような人間たちや仕事で疲れて外に遊びに行く気力もないインドア休日派の社会人たちが集っていることだろう。

 

FFBEに比べるとMobius FFに関しては書くことが少なかった気がするが、この記事を目にしてしまった人に対してきちんと分かりやすく書こうという意図がそもそもあまりなかったので、多分それはどんどん自分の書きたいように書いただけになってしまった結果ではないだろうか。

 

日頃の記事と比べると明るいというか、暗い話が極端にない記事になったので、もう少し気を使った分かりやすい文章にしてもよかったのではないかなと、少しだけ思った。

何もない日、何も起こらない日

今日は何も頭に入ってこない日だった。

 

アニメを見てても、音楽聞いてても、雑念が取れない。雑念というか、バイトであった嫌なことをどうしても思い出してしまう。あのときこう言ってやればよかったとか、あの人はああ言っていたけど、それはほにゃららだから間違っているとか。そんなことばかり考えてしまう。趣味とは役に立たないものである。

 

他人の粗探しなんてみっともないと思うけれど、それも昔の出来事のそれなんて、余計にみっともないと思うけれど。

 

多分、そういう過去の嫌なことを忘れさせてくれるような何かが、僕にはない。僕には起きない。

 

「得体の知れない他人がうようよいる外になんか出てしまったら、また見ず知らずの他人の行動や発言の粗探しをしてしまうし、地下鉄で老人に席を譲らなかったとかそういうことで「他人に迷惑をかけてしまった」とかうだうだ悩んでしまう。だから家にいるのが一番安全なのだ」という訳の分からない理論を導き出して、そしてそれに納得して、僕は基本家から出ないことにしている。

 

そんなんだから何も起きないのだろうと思う。自分一人で過去の嫌なことを忘れることができるような何かが起きないのだろうと思う。いや、「思う」とか、そういう言葉で表現を濁すことはない。そんなんだから何も起きないのだ。原因は僕にある。僕は、他ならぬ僕のせいで昔話を蒸し返しているのだ。

 

こんなときには、なぜかというかやはりというか、将来について考えてしまう。「思ったよりつまらなかった」なんて理由で休学し、バイトもろくにせず、身になることなんて何もしていない僕は、果たして復学してからどうなるのだろうか。なんとかうまくやっていくなんてことはできないだろうが、なんとか付いていくことさえ難しいだろうが、復学後にはきちんと修士号を取るまで努力することができるのだろうか。

 

できたとして、社会に出ることを拒み続けた僕はそれからどうするのだろうか。どうなるのだろうか。やはり多くの社会人のような仕方で労働することを拒み、今度は博士号でも取ろうというのか。そんなに現実は甘くないのではないか。なんで僕は大学院に進学できたのだろうか。僕みたいな社会に適応していけない人間を救済して匿うのが大学院の役割というわけではないだろう。

 

はたまた、心機一転して就職活動でもするのだろうか。ろくな技術も持っておらず、だからもちろん社会に出たところで即戦力にはならず、かと言って何か潜在能力があるのかと言われれば、少なくとも僕はそれを自覚できてはいない。

 

バイトで得た経験からしか語れないけれど、僕はああいういろんな人が集まって働く環境というのに、適応できないのだ。繰り返しになるが、他人の粗探しばかりしてしまうのだ。自分のやるべきことをきちんとこなせていれば、それでもなんとかそこに置いておいてもらえるだろうが、そして僕も僕でなんとかプライドというかやりがいを感じることができるだろうが、それでも僕は僕の悪癖をどうにかする方法を知らないのだ。

 

なにより、興味を持てる分野というものが、僕にはない。まあ、就職活動を文字通り全くやっていないわけだから、どんな職種があるのかという問いかけに対する答えを持ち合わせてはいないのだが。とはいえ、それでも大まかな分布図というか、大まかな分類レベルでの職種についての知識くらいは持っていると思っている。調べれば、何か希望が見えてくるのだろうか。少しでもやってみたいと思える仕事に出会えるのだろうか。

 

大抵のことは、僕だって人並みにはできる。人並みな能力ならある。僕にないのは自分の悪癖を抑え込んだり、それと付き合っていくための知識である。あるいはそのための経験である。これは多分、大きなマイナス要素だろう。

 

あるいは、これも慣れの問題なのだろうか。24年生きてきて、自分の性格を良いものだと思ったことは一度もないが、悪いものだと思ったことなら数え切れないほどある。数え切れないほど、自己嫌悪している。そのたびに、なんとか浮き上がろうとして自己愛にすがってきた。いくら自分勝手な理屈であっても、自分を愛せるのであれば、その理屈にすがるしかなかった。

 

そのようにしか、生きられないのではないかと思う。「人は変わる」だとか「人は成長できる」だとか、そういうことを言う人は多いけれど、それは本当に変化だったのだろうか、成長だったのだろうか。もし本当にそうだったとしても、それはどの視点から、どのくらいの奥行きを持った視点から見れば言えるものなのだろうか。

 

極論を言えば、人がなすことはすべて生きるためのことである。食事もそうだし、買い物もそうだ。他人との会話もそうだし、もっと言えば政治もそうだ。食事も政治も人が生きるためのものだ。そう言える視点は確かに存在する。しかし、食事について、あるいは政治についてそれぞれ考えていけば、僕なんかがここで書かずともみんな知っているように、それらは「人が生きるため」という共通の目的を持っているとしても、明らかに別種の事柄である。

 

別の視点から言えば、つまり日本という一見恵まれた国の外の事情を考えれば、食事のために人の生を軽んじることさえあるし、政治的行為という名目で人の生を圧迫することだってある。

 

矛盾だらけではないか。

 

人間は大きな視野でものを見ることができる。しかし、その視野では見えないものが多くある。こんなことだって、ことさら僕が言わなくてはならないことではないはずだ。僕が言いたいのは、安易に他人の人生についてとやかく言うべきではない、それだけなのだ。

 

変わりたいと思っている。成長したいと思っている。そういう思いはある。だからその思いを誰かに疑われるのであれば、僕はもう自分を信用できないし(未だって半信半疑だが)、自分を見限るしかなくなる。

 

僕はきちんと納得したいだけなのだ。僕を納得させてくれる人がいないのだ。わがままを言っていることは分かっている。このわがままが原因で現実に誰かに嫌な思いをさせたくないから、僕はここを動かずにいるとも言える。

 

派遣スタッフとして働いてみて、優しい人もたくさんいたし、それと同じくらい嫌な人もたくさんいた。良いことも嫌なこともあった。僕は嫌なことを我慢できない性格だった。それだけなのだ。それなのに、僕は考え込んでしまう。書き切れないほど考えてしまう。悩んでいる最中の、言葉にできないことを言葉にしたくて考えてしまう。なんとか文字に起こしてみたけれど、不完全燃焼気味である。というか文字通りの不完全燃焼である。

 

納得して前に進みたい。これはわがままなのだろうし、あるいは完璧主義的な性格を持つ(しかし完璧に物事をこなすことのできない)「人間」が抱えることになる弊害の一つなのだろう。僕だけの問題ではなく、少なからず人間誰しもが抱える問題なのだ。

 

僕の悩みなど、その程度でしかないのだ。